国境の南

雑感

あなたを選んでくれるもの

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ミランダ・ジュライ。苦手な作家のひとりである。というのも、先に読んでいた『いちばんここに似合う人』『最初の悪い男』があんまり合わなかったから。あまりにも突拍子がないような場面が多いように感じ白けてしまった。妄想が多すぎる。

ただこの作品はミランダのインタビュー中心のノンフィクション、エッセイのようなものだったので楽しく読むことができた。結婚したばかりの彼女の心情と、昔恋人と付き合っていた時の気持ちを重ねて読んでいた。

 

いつかわたしが自分の本当の姿――独りぼっちの女――を思い出し、ここに戻ってきて豆を水に浸す日を待っていた。 

 

わたしは夫の理論上の死を想像し、彼に先立たれて今の家に独りぼっちで暮らしている自分を思い描いてみた。耐えられないぐらい悲しかった。あまりに悲しすぎて、以前のあの脚本を書くのに使っていた穴ぐらに戻ってしまうかもしれなかった。彼と出会う前のまま時間の止まったその部屋で、三十歳からもう一度人生をやり直す。ついにあの白インゲン豆でスープを作り、一人で座ってスープを飲み、そして一人きりで眠りにつく。まるで夫と過ごした時間が長いひとつながりの一日だったみたいに。

 

切実だ。彼の部屋を出るたび、あと何回ここに来れるのだろうかと考えて過ごしていたあの頃の記憶がよみがえってくる……ウウ

 

ときおり挿入される写真もとても良い。インタビューを受ける人々は多くがお金に困っている貧困層の人々だけど、家の様子からはあまりそういう感じがしない、そもそも家がかなり大きいし。たぶん私が住んでいるところからイメージされる貧困とアメリカのそれとは違うんだろう。

文章と共に写真があるおかげでずいぶんとリアリティが出る。自分の頭でこしらえたイメージではなく、実際に生活している人の表情や様子、暮らしぶり。ほんとうに色んな人がいて同じ世界で生活していてそれぞれの人生がある。最近夕方に散歩して(散歩くらいしか外出することがない)マンションの窓々の、それぞれの明かりを見ていると愕然とするときがある。そういうことに無頓着でいたいような気持があるからかもしれない。電車とかでも思う。

 

最近は手紙をもらう機会なんかもあり、インターネットを介さない交流でしか得られない、親密さや温かさや驚きがたしかにある。そのようなことを強く感じている。