国境の南

雑感

5月

止まっていた時が急に動き出す!

もはや何を書いていたのかも覚えていなかったが、文フリ終わった後も結構自由に書いていた。

 

5月4日

文フリ終わった、文フリ終わってしまった。

 

ギリギリで午前着だった納品も朝起きて確認すると有明に届いていて安心。有明のヤマト営業所からスムーズに受け取り会場へ。

友人と合流し慌てて設営。朝受け取った荷物を開封するとかわいらしい冊子が詰まっており感激する。

記念すべき一作目『背中の稜線』

出店者として初めて、ブースのこちら側に座ってもしくは立っていたが、やっぱり置いているからにはたくさん売れてほしいという気持ちになり、しかしこの程度のクオリティのものが人の手に渡るのは恥ずかしさもあり、なんだかぐちゃぐちゃの気持ちのまま座って、もしくは立っていた。

両隣のブースはなにやら可愛らしい作風でどんどんファンの人らしきお客さんが来ており売れていた、それを横目に見つつ平静でいるのは難しい。

しかし14過ぎから友人各位がけっこう立て続けにきてくれて、嬉しい気持ちに。

たぶんフィーリングで買ってくれた人も数人いてびっくり嬉しかった。

なにより、今まで長らくコンテンツを消費する側だった私が作る側になり、私の作品と好きな人たちとの作品が等価に交換されるということがかなり衝撃的だった。

終わって、友人と新橋で打ち上げをする。ぐだぐだと話していると結局C4P的な話に収束していった。私の作品を作れるのは私だけ。ただまあ考えることはまた色々あるな。

次に何を作るかについてもうっすらともう考え始めている。

 

5月9日

もしあの頃の私が、今みたいに自分を表現する方法を知っていたら本を作っていたんじゃないかと思う

いや違うかも

そもそも2018年には本を作りたいとは思ってなかったかも

あのあと、カメラを買って写真を撮り始めて、ライブにもたくさん行き始めて、色んな人と知り合って友達が増えて、やりたいことがわかってきて

本作りたいと思い始めたのは2023年くらいからだったかも

この数年かけて、表現をする方法を手に入れてきてたんだなぁと思う

それで、色んな出来事をきっかけに今作ることができたんだな

 

5月10日

今日はいい1日だった。大河の録画みて練習行って散歩して本読んで

ナイス選択

 

5月11日

通勤中の電車のなかで折坂悠太「呼び名」を聴き、高野川を思い出していた。夏の京都にまた行きたいが…。あの頃だって、会った後あんなに寂しい気持ちで京都にいたのをすごいと思う。

 

自由に使える時間とかなくなってきて、文フリの振り返りもしたいのだけどねえ、書かなくても心のなかには残ってるけど、書くとわかるからなぁ。

 

お風呂に入っている時の読書集中できる。お風呂に入っていることも忘れてしまって、完全に本の世界の中にいる。私はそこにいるように見えるかもしれないがそこにはいないのです。

 

5月14日

展示会周りが巻けたので新しい上司とおしゃれなちっちゃいカフェに入って休憩し、恋バナなどして盛り上がった。

行きの電車のなかではフジロックの話で盛り上がったし、お給料をもらいながらいけてるメンズと楽しくお茶をして若干の罪悪感すらある。新しい上司は新婚なのでいきさつなど聞いてみると付き合って数ヶ月で結婚したらしく、人生フル加速していてすごかった。他店にいい男いませんか?と聞きどんな人が好きなんですか?ときかれたので、うーん髭メガネが好きですと答えたら、髭メガネにろくな奴いませんよ。と言われる。

でも仕事が全然終わらなくて22時まで残業しちゃった。これでプラマイ0のはず。何が?

 

5月15日

今日も上司がメロかった、助けてくれや

 

5月16日

夢を見た。

誰かとの距離が縮まったとき嬉しいけれどふと寂しい、絶対に埋まらない距離も見えてしまうから。次に行くための心の動きなのかなぁとも思う。

 

5月18日

昨日のカンサノライブは楽しかったけど、深いところまで届いてくる感じはなかった。最近そういう心の深いところに効くライブが多かったから、特に違いが気になったのかもしれないが、聞いているうちに自然と涙が出てきてしまうようなステージとそうではないものの違いってどこにあるんだろう?音楽自体がライトなもので深刻になる要素がそもそもないとか、パーソナルな話題とか?そもそもショーだから別物か、とか。

 

5月22日

音楽を聴くだけで自然と思い出せる、作ることの喜びとかポジティブな心持ちのこと。

これは思うたびに何度でも書いておかなければいけないことだが、作品に触れて私の気持ちが動いて、その結果として私の本が生まれたことについては良い面しかない。作らなきゃよかったとかはない、絶対ない。

 

5月27日

昨日飲んで夜中帰ってきたら救急車が止まっていて、まさかうちじゃないよな?と思ったがうちじゃなかった。うちの隣のおっさんが運ばれていったらしい。

そういえば昔住んでた家の隣の部屋のおばあさんが亡くなっていたということがあったなぁというのを今朝なんとなく思い出して悲しい気持ちになっていた。

親と離れて暮らすひとは親が倒れたときのこととかどう考えているんだろうか、なんとなくそういう時に一人でいさせたくないなとは思ってしまう。

んまでも眠る時も死ぬ時も一人なのだが

 

昨日はくまちゃんと飲んで本を渡す会。

最近のこと含めて話し、相当変だよとのこと。それはそれで嬉しいんだよななんとなく。

爆モテしたいなーみたいな気持ちも、自分の軸がないみたいなことなのかもなと思う。くまちゃんと話してると、私って軸とかあんのかなぁと思ってしまうな。

 

5月28日

ああ、あなたに 花の名前の一つでも

あげること できたらいいのにな

5月がおわっていくなぁ