国境の南

雑感

aftersun

 思い出したのは家族でディズニーシーに行った時の写真で、豪華客船の白いデッキで小学生の私と30代後半ぐらいであろう父が笑っている。印字されている日付は2004年の5月28日なので、今からちょうど21年前。

 今日aftersunを観た。みんなのツイートとあらすじを見て、打ちのめされて立ち上がれないんじゃないかと不安。ウィーンガシャガシャというビデオカメラの作動音から始まる冒頭、カラムの背中、「11歳の頃何になりたかった?」と問うソフィ、ざらざらとした質感の映像、開始数十秒でなぜかもう泣く。心に残ったのはトルコのリゾートらしい色彩、プールの水面、ベランダやビーチで寝転ぶシーンが美しかった。ソフィがひとりで部屋に戻ってきているシーンの、部屋のしんとした空気とか匂いが昔の記憶から引っ張り出されて妙にリアルに感じる。そしてカラムの表情や背中。居場所のなさというのが心に引っかかっていた。故郷がないとはどういうことだろう?誕生日のサプライズで「いい人」と歌われた時のあの顔。苦しげに声を上げて泣く背中。そしてラスト。観終わってすぐ帰宅して感想を漁っていて、カラムの考察がありそっか、そういうことかと思った。あんな自分を抱えたまま生きていけなかったんだ、そしてそれに気付けなかったソフィの後悔も描かれていたんだ、とやっと理解。私は1回でそこまで見きれなかった。観終わってもじりじりと寂しく、パンフレットを読んだり感想を読んだりしていて急に、父についてのわからなさに私もずっと後悔のようなものを抱えていることに思い当たり、めちゃくちゃ泣いてしまった。

 引っ越す前の、当時の我が家のささやかなリビングで夜ご飯を食べている父の背中を撮った写真がスマホに残っている。大人になった今でも父のことはわからないが、この間意を決して誕生日にメールしたら元気そうだった、本当に元気かは知らないけど。とにかくaftersunはいい映画だった、30歳の今観れてよかったと思う。もう1回観たい。