国境の南

雑感

折坂悠太 らいど 2023

 


「坂道」の音源を初めて聴いたのが2018年の10月らしい。あれからもう5年も経つ。自分の中に仕舞い込んでいた音楽を求める気持ちを激しく呼び起こされるような、猛烈な体験をしたことを思い出す。

先週の9月29日、折坂悠太のデビュー10周年を記念したツアー「らいど 2023」の千秋楽公演に行った。会場は人見記念講堂、ちょうど1年前にここで中村佳穂を見た。折坂悠太のライブはフジロック22ぶり、と思っていたけど書いている途中で「オープンバーン」ぶりだと気づいた。あの時は後ろすぎて全然見えなかったから記憶がかなり薄れている。

 

開演30分前くらいに到着し、目当てだった歌詞集を買うため物販に並ぶ。開演5分前くらいにギリギリゲット。

席は前の方だけど上手側の端で姿勢がなかなか辛い。そして開演中めちゃくちゃ気になったのが扉の開閉と扉前にいるスタッフ(位置的に視界の左側にずっと入る、めっちゃ暇そう)。地蔵にキレたくなる気持ちが理解できた。

ステージは椅子とスタンドライト、アンプが置かれた小ぢんまりとしたセット。部屋のような感じでインスタライブリアル版…と思った。

 

1曲目は「爆発」から。今回のライブは弾き語りなのでバンドなしの演奏だけど、そのグルーヴ感をひとりでやってのけているという感じでびっくり、かつ新鮮だった。2曲目は新曲。「知らない曲ばかりやってすみません。」「後半から楽しくなってくると思います」と折坂氏。

「夜香木」、「あけぼの」、「朝顔」と続く。夜香木をやってくれたのが嬉しかった。

 

その後の新曲「正気」聞いていてあぁこれは戦争の曲だ、と思ったら、最後の歌詞で「私は本気です 戦争しないです」と歌っていてそうだった。なぜそう思ったのかというと行きの電車で読んでいた『薮IN』の内容とリンクしているような気がしたからで

「…戦争が起こるときに、それに対して自分は何にもしてこなかったし、いつの間にかなってたっていう。そういう言い訳だけはしたくないなって思う」

と書いてあった。「鍋に立てかけたお玉の 取っ手のプラが溶けてゆく」という歌詞がぐにゃりとしたイメージを残していく。

 

どのタイミングか忘れたけど物販紹介が始まって「1番まずそうなやつから紹介します」みたいな感じで砂時計紹介してて笑った。「私もこれはどうかと思った」とか言っていたが原稿書く時に使っているらしい。歌詞集はカバンに入れておくのに丁度いいサイズ感でナイフで刺された時の護身用に使えるそうです。なるほどね。

 

ライブ後半は「星屑」の時(会場の)子供の声が聞こえてMV思い出した。そして赤い照明が不気味さを最大に演出した「夜学」から、「光」の流れがとても良かった。

 

アンコールは演奏前に「会場の大小は関係なく(有名か無名かも)人を区別するような制度には反対です。」「個人の見解です」という旨のMC、からの「トーチ」!と「芍薬」。芍薬のとき立って踊りたかったが席で揺れて我慢した。あっというまの1時間半でした。

(その後大急ぎで下北に向かい離婚伝説のライブに駆け込んだのであった…)

エドワード・ヤンの恋愛時代

日比谷シャンテで観た。てか原題が独立時代?らしくて全然違う。

ラストシーンが良すぎて嬉しい気持ちで映画館を後にできた。本当にいい。中国とか台湾の映画を観ていて私は中国語の音がけっこう好きだなあと思う。喧嘩にも勢いがある。喧嘩といえばタクシーの言い合いのシーンの、視線と会話のタイミングすごかった。喧嘩した後に頬を撫でれるんだ、関係性の強さ、と思った。チチはオードリー・ヘップバーンみたいでとっても可愛い。義理兄の部屋にもポスター貼ってあったし。恋をした人間がまた走っていた。モーリーもベリーショートで可愛い、恋する惑星のフェイウォンを思い出す。煙草を吸う姿も運転してるところもカッコいい。ミンとの夜のシーンがつらかったけど暗闇の中の二人は美しかった。嘘でも愛してるとあの時言われていたらどうなっていたんだろう。朝のビルのシーンも綺麗な青だった。病院で叔母さんが泣くシーン、あれ一瞬どっち?と思ってしまった。マジで全員ぶつかり合いすぎてすごいパワーだった。後半表情が見えないシーンが多かったけど他人のわからなさを表してるのかな。濱口竜介さんのコメントも良かった。もう一回観たいしクーリンチェも観てみたくなった。4時間…

「ペトロールズ×離婚伝説」『SHIBUYACLUB QUATTRO 35THANNIV.「NEW VIEW」』ライブレポ

何かが心に引っ掛かる。

そもそも「離婚伝説」て。と初めてこのバンド名を耳にした人なら思うに違いない。名前のインパクトもさることながら、楽曲も妙に耳に残る名曲揃いで、ライブに行くとフロアで必ず「海老みたいな靴って何?」というリリック議論が繰り広げられている所に遭遇する。

そんな、リスナーの頭に「?」を残し続ける離婚伝説が、なんとなんとペトロールズと対バンとのことで、休みをとって行ってきた。何か書かなければ…と思い続けてもう2週間経ってしまったけどライブレポ。

 


離婚伝説を知っているか?

せっかくなのでちょっとご紹介

youtu.be


2022年1月に結成。ボーカル、ギターの2人組。
Vo.松田歩
・とにかく華がある、歌っている時の目線や仕草が色っぽい
・ファルセットが本当に綺麗、透明でキラキラした銀色のベールみたいな声
 
Gt.別府純
・一見コワモテ感あるけどギターはオラオラしてない、艶っぽい音と丁寧なフレージング、顔で弾いてる
・喋ると近所のおばちゃん

 

ライブではその他にサポートメンバーでベース、ドラム、シンセ、アコギ?が入ってます

 

 

当日はチケット完売で超満員の渋谷クアトロ。入り口での「お目当てのアーティスト」で離婚伝説と答えていた方もけっこういたようで、人気を実感。もちろん私も離婚伝説と答えておいた(本当は両方!)

離婚伝説は「愛が一層メロウ」からスタート。今回でライブ見るのは2月に続き2回目だが、前回より曲を知って来てくれているお客さんが多いのを感じてめちゃくちゃ盛り上がる!サビの愛が一層メロウのところみんなで歌えたのが楽しすぎ。

セトリは覚えてないけど2~3曲目はいつもやってる未発表のやつ(だったと思う)。英詞のやつ音源化が待ち遠しい。あと何曲目か覚えてないけど初めて聴く曲あったな???記憶が

 

MCではクアトロの35周年をお祝いするコメント。「僕らが生まれる前からある」みたいな話で、あれ二人年齡幾つなんだっけと思ったら29歳だそう。

「告知いいですか」と言うのでなんかワンマンか!?と思ったら、ニューグッズでタオルが売ってるから買ってくれとのこと。客、ずっこける。タオル見たよ入る時に。Twitterで買った人のコメント見たら今治タオルらしくて笑った。

トロールズ早く見たいですね〜なんて話や、先日リリースした「さらまっぽ」について。

MVは全編フィリピンで行ったそうで、曲名の「さらまっぽ」はタガログ語でありがとうという意味らしい。かけがえない毎日を大切にしていこうという曲とのことで、二人の空気感というか人柄あってのこの曲、このMVだな〜と思う。前にライブで聴いたことがあった曲なので、改めて曲名が付いてから聴くとまた新しく楽しめる。なんか、私も今を大事にしていかないとな…と聴きながら思いました…キラキラした二人に言われると本当にそう思うよ。

 

「さらまっぽ」からの「スパンコールの女」はイントロ前にライブアレンジが加わっててカッコよかった!更に良かったのが、サビ前の「ヘーイ」をキメてくれたお客さんがいたこと。ありがとうめっちゃ盛り上がりました。最後は「メルヘンを捨てないで」。今回はアウトロのギターソロがたっぷりめ。歌い終わった歩ちゃんが一人で退場して、バンドだけ残ってのスーパー別府純タイムだった。ラストはギターをバーンと鳴らしたまま退場して、おお!!(そのパターンもあるんだ)と思った。いやーよかった。

見る度変わってゆくのが面白いし色んな場所で演奏する機会が増えて、どんどん進化していっている。アルバムいつ出すのかな?とか、色々と楽しみなバンド。

トロールズ編は余力があったら書きます(書かないな…)

aftersun

 思い出したのは家族でディズニーシーに行った時の写真で、豪華客船の白いデッキで小学生の私と30代後半ぐらいであろう父が笑っている。印字されている日付は2004年の5月28日なので、今からちょうど21年前。

 今日aftersunを観た。みんなのツイートとあらすじを見て、打ちのめされて立ち上がれないんじゃないかと不安。ウィーンガシャガシャというビデオカメラの作動音から始まる冒頭、カラムの背中、「11歳の頃何になりたかった?」と問うソフィ、ざらざらとした質感の映像、開始数十秒でなぜかもう泣く。心に残ったのはトルコのリゾートらしい色彩、プールの水面、ベランダやビーチで寝転ぶシーンが美しかった。ソフィがひとりで部屋に戻ってきているシーンの、部屋のしんとした空気とか匂いが昔の記憶から引っ張り出されて妙にリアルに感じる。そしてカラムの表情や背中。居場所のなさというのが心に引っかかっていた。故郷がないとはどういうことだろう?誕生日のサプライズで「いい人」と歌われた時のあの顔。苦しげに声を上げて泣く背中。そしてラスト。観終わってすぐ帰宅して感想を漁っていて、カラムの考察がありそっか、そういうことかと思った。あんな自分を抱えたまま生きていけなかったんだ、そしてそれに気付けなかったソフィの後悔も描かれていたんだ、とやっと理解。私は1回でそこまで見きれなかった。観終わってもじりじりと寂しく、パンフレットを読んだり感想を読んだりしていて急に、父についてのわからなさに私もずっと後悔のようなものを抱えていることに思い当たり、めちゃくちゃ泣いてしまった。

 引っ越す前の、当時の我が家のささやかなリビングで夜ご飯を食べている父の背中を撮った写真がスマホに残っている。大人になった今でも父のことはわからないが、この間意を決して誕生日にメールしたら元気そうだった、本当に元気かは知らないけど。とにかくaftersunはいい映画だった、30歳の今観れてよかったと思う。もう1回観たい。

現代思想入門

とにかく書くハードルを下げることが大事だ。Twitterには脳内垂れ流してるのにブログになると腰が重い。

千葉雅也さんの『現代思想入門』読んだ。哲学ってなんなのか全く分かっていなかったけど、物事をいろんな角度から眺める新たな視点を得たように思う。たぶん全然分かってないけど面白かった。千葉さん優しい。前に読んだ近藤康太郎さんの『三行で撃つ』の中で、社会科学、自然科学の本格的な書物をかじっていない人が書く文章は足腰が弱い、遠くまで行けない文章だ、ということが書いてあった。「世界の認知の仕方を増やす」こと。もっと勉強しなければ。

阿久津さんと千葉さんのトークイベント見たかったけどチケット買うの忘れていた。あと滝口さんとのやつも…最近は文章を書くことに興味が出てきている。ブログも大して書けないのに……

街とその不確かな壁

すごくシンプルだった、というのが読み終わってまず抱いた感想。なぜなら最近の村上春樹の長編作品は読み始めてもなんとなく冗長に感じて、一旦興味を失って寝かせて置いてしまうことが多かったから…壮大な冒険も仕掛けもないが、著者がこれまで「手を変え品を替え」書いてきたことが静かに示されていた。

生と死、過去と現在、自分と他者、実体と影などの対比やあてもない散歩、図書館、川、海にふる雨など、見覚えのあるさまざまなモチーフ。全部盛りで、これが最後の長編小説と言っているわけだし、集大成ということなのか。『新潮』6月号の「七つの視座で読む村上春樹新作」で小川哲さんはこう述べている

 はたして本作は「集大成」なのだろうか。あるいは「再生産」なのだろうか。

 この作品を読んでどう感じるかは、それぞれの読者が決めることだ。それは間違いない。ただ僕は、「集大成」でも「再生産」でもなく、「収穫」と評してみたい。

全てのモチーフは今作の元になった『街と、その不確かな壁』に既に登場しており、その「種」が今やっと自らの手によって収穫された、という読み方が確かにとても自然に感じられる。

個人的には第一章が終わって第二章に入るところでかなりシン・エヴァ感を感じて盛り上がってしまった。突然なに?

小川さんの書評に戻ると、本作が今の時代にこうして出されたきっかけとして新型コロナの影響があるのではないかと書かれている。村上春樹本人はあとがきで、そういうこともあるかもしれないし、ないかもしれない、みたいなことを言っていて本当のところはよく分からんけど。「他者と関わること」について自分がコロナ禍初期の休業前後に考えていたことと重なる部分があるように思ったので当時のtumblerから引用してみる。

 

2020/5/19

久しぶりに電車乗って都内に出て思ったけど、やっぱりこれ一旦落ち着いたとしても新しくスタートみたいな感じより今までよりもっと悪い地獄から続きを始めるみたいな感覚の方が強いなと思った。みんなこれからの時代をどう新しい切り口で乗り越えるかみたいな、変わっていくかみたいな話ばっかりするけど別に現実そんな変わってない、現実って私が生きていく狭い世間の話だからまた違うのかもしれんけども、ウェルベックの言っていたことがちょっとわかった気がしたようなしないような

仕事が始まるのが本当に嫌だな。他人の考えが意志があらゆるところに介在する、めんどくさい。一人だけで生きていきたい、でもたまにどうでも良いことを話したい、どうでも良くないことが仕事とか政治とか経済とかの話なわけですね。なんか、人いっぱいいてそれぞれが別々のことを考えているって恐ろしいなって、いや恐ろしくないな、めんどくさいだけだわ。でも自分がもうちょっとマシになるためには他社との対話が必要なんだろうなってこの生活をしてしみじみ思って、今日電車の中でも考えていた。特別悪いこともないが特別良いこともないこの生活のことけっこう愛しているんだけどな。めちゃめちゃに泣きたくなったり自分が損なわれたって思うようなことがないってすごくいいと思う、どうして働いてるとそんなことになってしまうんだろう、でも別に働いてなくて学生の頃でもそういうことはあったな。やはり人間はたくさん集まると良くない

 

 

 

 

暗いですね。

暗いしなんかごちゃごちゃ言っているが、私は隔離された生活に不安はあったけど不満はなかったというか、自宅と近所だけで完結した生活意外といけるかもなという感じではいた。他人との関わりから解放された、時間が停滞したような上書きされていくだけの日々。「街」での生活もきっとそうで、「私」にとってのトリガーはやはりコーヒーショップの彼女であったんだなと思う。彼女に向けて能動的な行動を起こした結果、「私」の中での時間の流れが変わったのではないか。

 カウンターの上に置いた私の手に、彼女が手を重ねた。五本の滑らかな指が、私の指に静かに絡んだ。種類の異なる時間がそこでひとつに重なり合い、混じり合った。胸の奥の方から哀しみに似た、しかし哀しみとは成り立ちの違う感情が、繁茂する植物のように触手を伸ばしてきた。私はその感触を懐かしく思った。私の心には、私が十分に知り得ない領域がまだ少しは残っているのだろう。時間にも手出しできない領域が。

ノートに写しておきたい素敵なシーン。手と手が初めて触れ合うときのあの心の震えみたいなものを思い出させる、本当に良い文章…

 

新潮の最果タヒさんの書評もとても好きだったんだけど、コーヒーショップの彼女が初恋の彼女より説得力を持たない存在であることについて書いている。「私」が「待つ必要がある女性」を求めていたなら、コーヒーショップの彼女でなくても良かったのではないか?という疑問に対して。

長く引きずってきた過去の恋への未練が終わる時、そこに「絶対的な恋」を求めるのはあまりにも図々しい期待だ。人の命は未熟で生っぽくて、それから「オチ」のためでも「結末」のためでもない過程を愛することができる存在だ。「私」はまさにそういうあり方を最後に選び、そうして「街」を出ていった。過去より現在が優ったからでも、過去を諦めるのでもなくて、人は生きているから。

生きていくことって偶然や予測できないことの連続で、「運命的な恋」なんてもので人は死んだりしない。「恋できみが死なない理由」というタイトルも素晴らしい書評だった。

 

 

国境の南、太陽の西』のラストにも海に降る雨の描写が出てくるので個人的にはオッと思った。卒論で書いた作品の為…

ちなみに今読み返したら国境の南のラストは

誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、僕はずっとそんな海のことを考えていた。

と終わっているから、きっと「私」は受け止められたのだと思っている。

 

 

最後に、あとがきのラストの一文でクソ笑顔になってしまった。

素晴らしい作品だった。私が生きているうち何度も読み返すと思う。

優雅な生活が最高の復讐である

装丁が素敵で手に取った。ツイッターウケしそうなタイトルはたぶんインターネットで見て知っていた、タイトルの意味は読む前と読んだ後で印象が少し変わったと思う。ジェラルドとセーラのマーフィー夫妻の暮らしとその友人たちの話だが、スコットフィッツ・ジェラルドと妻のゼルダの話がなかなか凄かった。他の本でも読んだけど当時周りにいた人は本当参ってしまっただろうなぁという滅茶苦茶ぶり(高いところから飛び降りたり、轢かれようとしたり)

マーフィー夫妻の独創的で美しい暮らしぶりは、誰もを魅了し、「マーフィ夫妻と一緒のときはだれもが最高の自分になれた」という。

 

『人生の自分でこしらえた部分、非現実的なところだけが好きなんだ。たしかにいろんなことが起きる——病気とか誕生とか、ゼルダのプランジャン入院とかパトリックのサナトリウムとか義父ウィボーグの死とか。それらが現実だ、どうにも手の出しようがない』

 

『…大事なのは、なにをするかではなくて、なににこころを傾けるかだとおもっているから、人生のじぶんでつくりあげた部分しか、ぼくには意味がないんだよ』

突如襲いかかってくる悲しみ、怒り、人生のコントロールできない理不尽さへ抗う手立てとしての美しい生活。