国境の南

雑感

話の終わり

2月からずっと読んでいたリディア・デイヴィス『話の終わり』をやっと読み終わった。恋人との出会いから別れ(主に別れ)を描いたもので、しんどくてなかなか読み進まなかった。というのと入子構造?回想する現在の「私」、過去の「私」、小説家としての「私」など時間軸も行ったり来たりするのでぼんやり読んでいたらよくわからなくなって、あれ…とか思って前のページに戻ったりしていたせいもある。

とにかく思い出のディティールが細かいなと思った。忘れられ上書きされながらも記憶の中にある風景や感触、肌の匂い。

 だが、単に嫉妬だけから他の女と会ってほしくなかったわけではなかった。彼が他の誰かといれば、彼は急に私からとても遠い存在になってしまう。彼の意識は私にではなくその女の上に移ってしまう、前はどんなに遠く離れていても彼の意識は私の上にあったというのに。私を照らしていた彼の意識という光が、離れていってしまう。

別れてから執拗に電話をしたり常に彼を探し回る「私」だが、単に彼の不在によって「私」の中での存在が増しているだけでなく、彼がいなくなったことで自分自身の存在自体が不確かになってしまった。

 

彼を見るとき、私は彼だけでなく私自身も見ていて、私のその部分が永遠に失われてしまったのを感じた。それだけでなく、彼が私を見る目の中から、かつて彼が私を愛していたころの私が失われてしまっているのも感じた。

恋愛が終わる時の悲しさって、相手の中から自分が居なくなってしまうことだと思う。ぴったりひとつになっていると思っていたものがちぐはぐになって変わっていくのは悲しい。目の中から自分が失われていくこと、松田聖子の「瞳はダイアモンド」を思い出した。

 

本を読むペースが下がっているので上げていかないと…